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7/1/2009 ネパールに行ってきます明日からネパール・クーブヒマールに行ってきます。
7月28日に盛岡に帰ってくる予定です。
コメントのご返事は帰ってきてからです。
《 秋のゴーキョ・ピーク トレッキング募集中 ⇒ネパール ゴキョ・ピークトレッキング17日間 》
6/17/2009 銀河の森を訪ねる山旅集落を過ぎて林道に入る
エゾハルゼミの声が聞こえてくる
懐かしい・・・
昨年までは、この辺りを何度も歩いていた・・・
樹木の香りがする
森の生気が漂う
口笛を吹くとウグイスが呼応する
森が私を迎えてくれる
私を覚えていた
ありがとう・・・
歩きながら、満たされてゆく私を感じる
森の精気が私を包む
母のように・・・
鳥のさえずりが、あちこちから聞こえてくる
川の瀬音も聞こえる
見上げると風にゆらめく若葉と雲が静かに動いている
森に差し込む強い光に熱さを覚えたが
遮る樹木と心地よい風が私を守る
ありがとう・・・
銀河の森の君よ
《 秋のゴーキョ・ピーク トレッキング募集中 ⇒ネパール ゴキョ・ピークトレッキング17日間 》 6/8/2009 ヒマラヤの青いケシの花来月、ネパールのクーンブ・ヒマールに行ってきます。
モンスーン(雨期)に入っているため、山が見えないので一般のツーリストは入っていません。
飛行機が予定通り飛ばないので、ジリから歩いていきます。 クーンブ・ヒマールの雨期に入るのは11年ぶりです。 この時期にだけ咲く、まぼろしの花といわれるブルーポピー(青いケシの花)を見てきます。
秋のゴーキョ・ピーク トレッキング募集中
期間は10月10日~26日までの17日間です。
興味のある方は、こちらをご覧下さい。⇒ネパール ゴキョ・ピークトレッキング17日間
6/3/2009 ヒマラヤトレッキングーゴーキョ編ヒマラヤトレッキングガイドを始めました。
10年ぶりに再開します。
今回は、ゴーキョ・ピークトレッキングをご案内します。
期間は10月10日~26日までの17日間です。
興味のある方は、こちらをご覧下さい。⇒ネパール ゴキョ・ピークトレッキング17日間
来月の上旬から、偵察を兼ねてネパールに行ってきます。
フォトアルバムは、「ヒマラヤトレッキングーゴーキョ編」をご覧下さい。 5/11/2009 第四回御神坂登山道「お花祭り」今年も御神坂登山道「お花祭り」を開催しました。
雫石岩手山神社で御神事を行っていただき、鞍掛山駐車場から大滝まで歩いてきました。
気温が高い日が続き登山口のカタクリは終わってしまいましたが、切接から上のほうは、まだまだ大丈夫です。 フォトアルバムは、第四回御神坂登山道「花祭り」をご覧下さい。 4/27/2009 護美のこと 先日の新聞に、塵のことを「護美」と書いているゴミ箱を見かけるようになったという記事が載っていました。
そこで今回も、以前、山岳会の会報に掲載したエッセイ、「護美のこと」をブログで紹介します。
護美のこと
ゴミのことで、講演会で質問されたことを思い出す。
「あなた方は、遠征隊で使ったものはどうしましたか?使用したロープは回収しなかったのですか?」
私は「持って帰れるものは、できるだけ持って帰り残ったものは燃やして氷河の中に埋めてきました。ロープについては他の隊も利用しており回収は考えなかった。私たちが最後であっても回収は不可能です」と答えた。
ゴミとは何だろう。環境を守るとは何だろう。
日本の山々では、奥地まで道路を作り、山小屋を作り、ゴミや排泄物を1ヶ所に集めてどこかに持って行く。沢山の人達は整備された道路と山小屋を利用し自然と触れ合う。
ヒマラヤの山々も、そうなってきている。沢山のトレッカーのためのロッヂが出来て、トイレも常設されるようになった。訪れる人は数万人単位である。そこに住む人達にとっては良い現金収入源の場となり、地域の活性化となっている。
しかし、私たちの登山はこのようにはゆかない。人里離れた地域でテントを張り、1ヶ月以上滞在し登山活動しなければならない。
一般化された地域と違い、年に5~10隊程度しか入らない。人数は多くても200人位である。ゴミの処理は私たちで行い、できるだけ持ち帰るようにしている。しかし、それでも残ってしまう。特に排泄物についてはどうしようもない。
私たちのしていることは環境破壊なのだろうか。私たちの行為は冒険的行為と言ってみても、理解してもらえない。止めれば簡単である。悩む必要はない。しかし、止めることは出来ない。
道が出来て山小屋が出来て沢山の人間が入り込めるような山登りは、環境保全を考えると納得出来ない。
生き物たちの生態系を考えると、先進国といわれる人達は、自分たちに都合のいいように開発してきている。自分たちに不便であれば『だれもが自然と触れ合うために』という名目で開発してしまう。
見た目に汚いものは覆い隠してしまい、不必要なものはゴミとして限りなく放出する。
人間側の見た目できれいであれば良とし、汚く見えれば悪としている。見る人間の価値基準で変わってゆく。見る人間の地域差によっても変わってくる。
しかし、そこに住む命は与えられた環境の中で生きている。人間の価値基準によって生かされているのではない。全ての生命は、様々な生態系に影響されながら共に生きている。
私たちは何をすべきだろう。『知恵』ある人間は何をすべきだろう。
ギブソンの唱えたアフォーダンス論は大量消費社会の行過ぎたアメリカの産物であるが、古来の日本人が大切にしてきた自然を崇拝する考え方と同じである。それに、ヒマラヤなどの奥地に住む人々の生き方に通じるものがある。
ギブソンが示唆するように、我々の行為が適切であるかどうかは、人間も含めた環境全体を考えて判断すべきである。
世界中で行われている戦争、豊かさを求める開発。物質的豊かさのみを追求して、見た目の清潔さ快適さにとらわれて他の命を脅かしている。
破壊される森と大地。やがて私たち自身に、そのつけが回ってきて社会問題となり、環境保全、ゴミの処理と騒がれている。それも、人間たちに都合のいいように。そして、その中で私たちの登山も批判される。
私たちの登山は、登るために半永久的な道を作ったり山小屋を望んだりしない。与えられた最小限の行為によって登らせてもらっている。
そして、人間の中にある他の生物とは違う欲求を得るために、争うことなく他を破壊することなく、未知への探究心と私自身の可能性を追求するために登らせていただいている。
都合の良い理屈になってしまうが、止めることはできない。
その上で考えたい。美しさを護るにはどうしたら良いのか、地球という大きな生命体を守るにはどうしたら良いのかを考えたい。
1994年12月記
4/20/2009 御神坂登山道「お花祭り」身近な人たちに御神坂登山道の「自然遺産としての価値」を理解してもらうための
御神坂登山道「お花祭り」です
日時:平成20年5月10日 日曜日
場所:極楽野・雫石岩手山神社集合(午前8時30分)
会費:500円(保険代含む)
午前九時から御神事を始めます
御神事終了後、鞍掛山駐車場に移動して午前10時頃出発予定です
事務局
雫石町長山早坂122-2 民宿・杉清荘 杉田修一
℡ 019-693-2873
御神坂登山道コース(登り3時間・下り1時間半)
鞍掛山駐車場 ⇔ 大滝展望台
4/16/2009 家族の絆このごろ、「絆」という言葉が目につく。 それではと、以前、山岳会の会報に掲載した「家族の絆」を掲載します。
家族は社会の最小単位といわれる。私たちはその中で育ち沢山のことを学習してきた。
日本の家族制度は、戦前にあった直系家族制から戦後は夫婦関係制に変わり、夫婦家族は父から長男へと永続されるものから、結婚によって生じ死亡によって消滅する一代限りの家族制となってしまった。
従来の家族制は封建的であったため民主的な欧米の家族制を取り入れられたものと思われる。
しかも日本の政府は、狭いウサギ小屋から脱却し豊かさを実感するためと、全ての人に一戸建て住宅を提唱してきた。それにより、古くからある『家』という風習はしだいに失われてしまい、世帯の核家族化が進められてしまった。
今や、おじいちゃん・おばあちゃんが一緒に住んでいた家は失われてきており、『家』という制度の良いところも失われようとしている。
現在の日本社会は、物に溢れて豊かになったため、お金さえあればだれにも頼ることなく生きてゆけるようになった。若い世代も老いた世代も自分たちの『殻』の中に閉じこもり他人はおろか家族の中でさえも互いの関わりを持とうとしなくなってきている。今や社会の最小単位である『家』は大きく変わろうとしている。
生まれてきた赤ん坊が、人と人とのつながりを学ぶのは家族の中から始まる。お父さん・お母さん・おじいちゃん・おばあちゃん、それに、お兄さん・お姉さん・弟・妹たちなど家族が大きければ大きいほど、より社会的形態をとる。そこに育つ子供たちは、戦いながら、助けあいながら様々なことを学び大人になってゆく。
しかし、『家』という形態が小さくなってきている現在、そこに育つ子供たちはどうなってゆくのだろう。しかも、よき伝統であった家族の『絆』はどうなってしまうのだろう。
私は、辺境の地を訪れるたびに、多くの家庭に老人がいることに気がつく。日本も嘗てはそうであったように、物が豊かでないときは、お互いを必要とするために、お年寄りを大切にして子供を頼りとして互いに助け合い気遣いながら生きてきたと思う。良き伝統は、そんな環境から育まれていったはずである。
それが、物が豊かになるにつれて失われようとしている。今や世界で最も豊かな国になったといわれるが、政府は、未だに豊かさを実感できない、全ての人に1戸建て住宅という。そして、今ある大切な家を壊し、家族の『絆』さえも壊そうとしている。
このままでよいのだろうか。良き伝統は、家族の絆はだれが守るのだろう。しかも、豊かさを得るために世界中の山と森から資源を採取し破壊し続けている。際限のない欲望は、それが豊かさだと思い描いて・・・。
私は辺境の地に住む人々を見ながらこう考えてみた。もし、今ある家を大切にして、家族が一つの家に住むことが出来たならどうなるだろうかと。
おじいちゃん・おばあちゃんを大切にしている家族と共に住む家庭に育つ子供たちは、家族の中で愛情を知り、社会の仕組みを知り、人として育ってゆくのではないだろうか。そしてさらに、助け合いながら共に生きることを知り、利己的になりがちな人間の欲望から守られて、ほんとうの豊かさを実感できる人間に育ってゆくのではないだろうか。
そう、大切な家族の絆を守り、共に暮らしてゆくことが出来たなら、社会の世界全体の絆を守ることになるのではないかと考える。
1996年2月記
4/8/2009 春の光が・・・
春の光が私を射す
私の目の中は、まるで万華鏡の中の色紙であった 誇りと汗にまみれ 私はひとり佇んでいた
光が踊る華やかなストリート 周りの建物はとてもカラフルで、山高帽子のように私を包んだ
(雑踏の中に佇んでいた私)
光が踊る華やかなストリートの中は、赤や黄色や青に変わる みんな忙しそうに私を避けた
意識のない声が私を包み ざわめきだけが、私を通り過ぎていった
埃と汗にまみれた都会は万華鏡の中の色紙だ 都会の中では苛立ちだけが聞こえた
私はなぜ此処にいるのだろう 何をもがいているのだろう 華やかな都会の中で何を求めてきたのだろう・・・
(と、思った)
森の中で 私はひとり静かに佇む
(気がつくと)
春の光が私を包む
4/1/2009 岩山展望台からの岩手山3/16/2009 3月の岩手山麓トレッキング3月15日から16日にかけて、岩手山麓を歩いてきました。
雫石駅出発⇒雫石東八幡平線⇒上長山地区⇒杉清荘に宿泊⇒長山街道⇒岩手山神社⇒一本桜⇒小岩井乳業⇒小岩井農場⇒網張温泉線⇒小岩井駅到着!
![]() 山の学校は閉鎖しましたが、山旅人の個人ガイドは続けます。
岩手山麓を歩いてみませんか?
個人でもグループでも、ご相談に応じます。
メールはこちらです。
フォトアルバムは「3月の岩手山麓トレッキング」です。
3/10/2009 シシャパンマ峰登山記録から 1994年3月~5月の登山記録を整理しました。
山旅人のホームページで公開しましたので、良かったらご覧下さい。
抜粋記事です。
(痛切の雪崩事故)
4月16日(土)晴れのち曇り、風強し 午前8:40、BC出発。 午前10:50、C1着。昼食を取る。 午前11:20、発。 午後1:30頃、C2手前のガリーに取り付く。林隊員、近藤隊長、桑原隊員と私の前を登って行く。 時折、テンギラギタウの岩壁からスノーシャワーが降りそそぐ。しかし、登攀を打ち切るほどではなった。そう思えた・・・。 午後2:30頃、雪崩が発生。 少しずつ溜まっていたと思われる雪が標高差千メートル以上もある垂壁を一気に落ちてくる。ガリーの中に居た私は、直撃を受けて飛ばされる。 直撃を受ける直前、上を見上げると、2年前の6月に谷川岳の一ノ倉沢滝沢第三スラブ登攀中に受けた雪崩を思い出した。 落ちてくる雪が滝の飛沫のように広がってとてもきれいに見えた。まるでスローモーションビデオを見るように私を覆ってきた。しかし、落ちてくる勢いは凄まじく、その衝撃力は私をガリーの取り付き点の下まで飛ばしてしまう。 落ちた場所が棚状になっていたため雪が溜まり、そこに埋没して止まった。しかも、落ちながら片手で口を塞いでいたため口の中に雪が入らず、呼吸することが出来た。 落ちた直後から、もう片方の手でもがいていると雪面に顔が出た。しかし、降りそそぐスノーシャワーは私を再び雪の中に埋めて下に押し流してしまいそうであった。 下を見ると奈落の底に雪が落ちていくように見えた。 危険を感じ、夢中で雪を漕ぐ。まだ雪が固まらなかったせいか、ガリーの取り付き点まで雪を掻き分けて登ることが出来た。 岩陰に隠れて落ちてくるスノーシャワーをやり過ごす。ほんの数分の出来事だった。
続きは山旅人のHPをご覧下さい。 2/13/2009 夢の思いアクセス情報を見ていたら、グーグルの検索で「ハンテングリ」と出ていた。
このブログは10番目にランクされてあった。
ランクの一番目を見てみたら、私のホームページであった。
なんとなく開けて見た。
自分の書いた登山記録を読んでいると、夢の内容を記録したページがあった。
なんということだろう。
16年前の私が、目標を失っていた私に、「読みなさい!」と導いてくれた。
私には、かけがえの無い財産が蓄積されている。
お金や物ではない、経験という無形の財産だった。
私が、あのときに見た「夢の思い」、そのものであった。
神様、ありがとうございます。
常日頃、お金中心主義の世界を憂いながら、結局、そのことに囚われていた私だった。
光が見えてきた。
茫漠の世界の先に、光が見えてきた。
1/18/2009 茫漠とした世界の先に見えたもの今日は、久しぶりにミスタードーナツに行って本を読んでいた。(「臨床の知とは何か」中村雄二郎著)
序文から私の心を動かしてゆく。
チェーホフの「手帖」の一節を引用して、現在の科学社会の有り様を問いただしている。
第一章を読み終えようとしたとき、様々な思いが浮かんできた。
「感じる」ことである。
その時、もうひとりの私が問いかけきた。
このままではいけない!と感じないのか?
こうしよう!と思わないのか?
感じることが出来ないのなら、僕は終わりだ!
私だけが感じるだけでは・・・。
私以外の人達が感じなければ、変えることは出来ない。
各々の主義を論じては進まない。
論理を論議することに終始してしまう。
自分の都合を考える時、「一人ではない、一人では生きてゆけない」と感じなければ何も変えることは出来ない。
いつの間にか、年末年始の「失業者避難村」を思い出していた。
そして、言葉が次々と出てきた。
茫漠とした世界の先に見えたもの
漠然とした状況の中で考えが及ばない時
なんとなく・・・、「このままではいけない」と感じる
そんな時、私は思った
たった一口の味わいに、心が満たされたとき
笑顔で見つめられ、心が満たされたとき
私は一人ぼっちではない
みんながいる
私達は一人では生きてゆけない
私達は生きてゆくために助け合おう
・・・と、思った
しかし・・・
道筋を考えてしまうと不安で先が見えなくなる
私たちの社会の仕組みは、一直線の線路のように作られている
そう見えてしまう
考えても、線路の電車に乗っている限りは無理だと思う・・・
もう一人の私は思う
不安で先が見えないときは
電車から降りて
自分の足で歩いてみよう
最初は
茫漠とした世界が目の前に広がるかもしれない
不安と恐怖に包まれてしまうかもしれない
が・・・
一歩だけ歩いてみよう
歩こうとしたとき、何が見える?
足元を見る
次に何が見える?
足元の先を見る
足を進めてごらん
・・・?
転ばないように足を置いてごらん
うん
もう一度、前を見てごらん
何が見える?
ほんの僅かだけど、先が見える
何かを感じないか?
一人では不安だ
助けて欲しい
一人では生きてゆけそうも無い
そう、しっかり立つためには・・・
君は、きっと、考えながら足を出す
君は、きっと、バランスをとりながら足を出す
たった一歩だけど
君は君自身のために、みんなと歩き始める
そう思えない?
そう思う
何かを感じないかい?
ほんの僅かだけど、先が見えるような気がする
私も、そう思う、そう感じる
そう、たった一口の味わいに心が満たされ
笑顔で見つめられた、あの時を思い出して
一歩踏み出したなら
一人ではない
一人では生きてゆけない
助け合って生きてゆこう
と思える
そして、そう思ったとき
あなたは変わることが出来る
私達は変わることが出来る
私達は希望の光を見ることが出来る
私は、私自身を言い聞かせるように、何度も書き直して希望を見出そうとしている。
目標を失った私は、避難村の人たちと同じである。
ヒマラヤの風雪に耐えた強靭な意志と身体も、不安定な心持ちでは力を発揮できない。
今は、充電の時である。
深刻な面持ちで待つより、見聞を広めることも逸興であるかもしれない。
12/16/2008 山の学校 アンソロジー 2008年編山の学校が閉鎖になります。
今まで応援していただいた皆様に御礼申し上げます。
このブログを始めるきっかけが、山の学校の紹介でしたので残念です。
来年からは、新たな道を捜して行きます。
ブログは続けてゆきます。
これからもよろしく!
記念に?
山の学校で生まれた詩の特集を組んでみました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2008年編
2008/03/14
草木が芽吹き、若葉が樹木に広がり、森は淡いうす緑色に包まれます
秋
樹木は赤や黄色に色づき鮮やかなコントラストで私を感動させます ( 冬です 永遠に続くと思われるほど長い冬も、やがて、耐えて待つ生き物達に光を与えます 私達は移ろう世界を巡っています
2008/03/17
昨日の雨から一転して快晴となる。
スノーシュー教室に申込がなかったので一人で散歩に出かける。
大荒沢川沿いを歩いていると・・・。
自然の現象はミラクルだ!と思い、カメラのシャッターを切る。
周りの枝を見ると、すべてがミラクルに見える。
すると・・・
「考えずに判断してはいけない」
「考えすぎて迷ってもいけない」
「すべてが当然の事なのだ」
「私達の存在が当たり前のように、存在そのものがミラクルなのだ!」
「もっと素直にならなければ、その事が見えない」
「もっと謙虚にならなければ、その事の理由が分からない」
と声がした。
とたんに、ミラクルでもなんでもない。
「これが当たり前の現象なのだ」
と気がつく。
自分の主観だけで見てはダメだ。
すべての現象には理由がある。
「なぜなんだろう?」
と疑問に思うことが大切である。
いつの間にか、おおあらさわ橋に出ていた。
対岸に渡り、川沿いを遡行する。
散歩のつもりで5時間も歩いてしまった。
今日もまた、この森で大切なことを教えられた。
マント群落を見て思う
と森は私を諭す
あまねくものすべてがカオスである 流れに身をゆだねることの出来ない者たちの
妄想である
怖れである
カオスは始まりである 創造への始まりである
立ち止まってはいけないと・・・
2008/03/31
朝起きると腰が痛み立ち上がるのが辛かった。
トイレに行くのもままならなかった。
その時、身体の不自由な人たちと人間以外の生きものたちの姿が思い浮かんだ。
今起きている事件の悲惨なこと、なんと悲しいこと、切なくなった。
悲しき者たちへ
見えるものが罪だというのか
喜びを感ずることが出来ない
嘆きの声が聞こえる
ここに来ると、私の中の私が叫ぶ。
森の静寂が私を呼び起こす。
私の魂は言葉となって私に問いかける。
12/14/2008 山の学校、アンソロジー 2007年編2007年編
2007/06/17
朝の光
朝の光が森の中に入り込む 樹木を照らし、森の中に光のシンフォニーが広がる 森の虫たちは光に誘われ飛び回る 鳥の囀りが始まる
夜明けのシンフォニーが光と共にやってくる
エゾハルゼミが鳴きはじめる 静寂が破られる
瀬の音が聞こえる 小鳥のつぶやきも聞こえる 雛が泣いている 森の住人達の音が聞こえる
共生の森である
すべてが美しいと思う ここに存在していることの不思議 ここに居られる幸せ・・・
森の中で
森の中で鮮やかな光を出すもの・・・ 弾力があり繊細な肌触り・・・ 起毛の絨毯のように暖かい
朽ちた樹木と無機質な石は、彼らによって森に溶け込み一体となる
すべてが必要として存在している 自然のふるまいには何一つ不必要なものはない
森の中に、身体を預ける
私も、彼らと一つになる
散歩のつもりが時を忘れて歩いてしまう。 川を渡渉して高畑登山口の林道から、そのまま県道に出てしまう。
生活道を歩きながら、人の声を聞き、車の音を聞き、田畑を見ながら銀河高原に戻る。 学校に着いたのは、ちょうど午後12時。 4時間半の散歩になってしまう。
今日は、詩人の気分である。 あなたも、銀河高原で詩人になりませんか?
2007/07/08
久し振りに近くの森を歩く。
ユビソヤナギを見に森の中に入る。
何かに惹かれるように奥の方に行ってしまう。
浮遊する魂のように
僕は、さ迷う
ここはどこだろう
僕はどこに居るのだろう
確かな在り処を求め
さ迷う
私の魂
一本の古木に魅入られる
古木に幾つもの命が取り付いていた。
誰かが私を諭す。
彼は終わりの時まで役目を果たす
朽ちて無にかえるまで
連鎖の掟を守る
彼に群がるものたちは
むさぼるものたちではない
定めのものたちなのだ
彼らは連鎖の鎖なのだ
森に佇み樹木を見上げる。 彼の声は私の魂の声だった。 私も連鎖の掟に従おう。 新たな命のために、未来の子供達のために連鎖の鎖として役目を果たそう・・・。
樹幹が明るくなった。
森を抜け出し空を見上げる。
深呼吸をすると気持ちがいい!
森の精気が私に生きる力をくれた。
今日も、また一つ大切な事を教えられる。
あなたも、命の森で魂の声を聞いてみませんか?
2007/09/30
先週までの夏のような暑さが消えてしまった。 この様子だと、山の上に雪が降ってもおかしくないと思う。 今日はフリースを着て、久しぶりに森の中を通り大荒沢川の上流まで散歩してきた。
秋の気配がする・・・
森の樹木は、まだ色づいていない
季節の変わり目なのか、くすんで見えた
あと数日で色づいてくるだろう
なんとなく森が静かだ
川の音だけが良く聞こえる
風がないせいだろうか?
なぜかさびしく感じる
そうか!
いつも聞こえる鳥の声が聞こえない
カエルの声も聞こえない
生き物たちの音が、ざわめきが聞こえないのだ
そのせいなのか、心が沈んでゆく
すべての命に終わりが来るように・・・
暗く沈んでゆく
すると・・・
森の中から聞こえてくる
「もうじき冷たい風が吹く」
「するどく、かんだかい風の音がやってくる」
「私達は、ただ待つだけ」
「逃げることは出来ない」
「いつものように身を預けるだけ」
「辛いが悲しくはない」
「すべてが定め」
「すべてを受け入れる」
「私達は、そうしてきた」
「喜びも悲しみも、すべてその中で巡っている」
「それが解っているから」
「それが世界だから」
「すべてが定めだから」
森の中には、私を諭してくれる私が居るようだ。
森の精霊たちは、もう一人の私を導き出してくれた。
2007/11/17
晩秋の銀河の森を歩いてきました。
今回は、宮沢賢治氏が儀府成一氏に宛てた手紙の中の言葉を考えながら歩いていました。 すると、賢治の心が私の中に入って来たかのように、小さな呟きが声となり語りかけてきました。
晩秋の森の中で賢治の心を思う
森の中で 散りゆくものの姿を見る
なぜかせつない このひと時が・・・
私はこの森の甦りを知っている やがて来る静寂のあとに 寒気に耐えながら 甦りを待つ彼らを知っている
私は悲しいのではない 過ぎ行く季節の幾ばくかを考えると なぜかせつないのだ
私が、この世界に生まれ この季節を感じ やがて来る静寂の時を深く考えたとき
なぜかせつなかった
私は命の連鎖を伝えたかった あなたに 未来の私に 永遠の連鎖を伝えたかった
喘ぎと 焦りと 戸惑い
全てがむなしい
賞賛も 名声も すべて、つかの間の快楽でしかない
残念でならない
ほんとうの美しさが欲しい
ほんとうの美しさを描いて欲しい
この森を歩くと、心が私に問いかける
これでいいのか このままでいいのかと・・・
私は私の心と向き合う すると、呟きが声となり言葉となってくる そして、一つの詩が生まれる
この森は、私の心を解き放つ 私の心に確かな言葉を伝えてくれる
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山の学校での詩は、2008年3月31日で途切れてしまう。
この後、6月14日に大きな地震に見舞われる。 ホテルのお客さんが激減する。 私たちのイベントも中止となる。 10月、シャトルバス運行中止・日中の温泉入浴中止となる。
元々、ぎりぎりでやっていたので、ホテル側の10月の業務変更は痛手となった。
主催していた友人は、気仙沼市で山の店とカレーハウスをやることになった。 私は、また旅行会社のガイドをすることに決めた。
子ども達に、この国の豊かな自然を体験させようと夢を見たのも、つかの間であった。
いつかまた、その日を夢見て、山旅を続けてゆこうと思う。
山の学校を終えるにあたって、コメントからの言葉を引用して後書とします。
岩と氷のヒマラヤの世界に比べると、大気に厚みがあります。
ヒマラヤは見た目にはきれいですが、大気は乾燥して希薄です。
そして、単調で、むなしく切ないです。
日本の山は、四季があり変化に富んで美しいです。
何よりも、生き物達に溢れて豊かです。
12/11/2008 無価値の価値の道しるべのためにテレビドラマを見ていたら、巨大な素粒子加速器の話しをしていた。
「そんなものに巨額な資金を出すより、道路や橋を作ったほうが良い」
「医療や教育にもお金が必要だ」
「価値があるのか?」
「価値はない」
「何のために必要だ」
「研究のため」
「何の研究のため」
「物質の本質を知るため、ビックバンの時に存在した素粒子を調べるため」
「なんの役に立つ」
「分からない」
「そんなことでは予算は通らない」
「電子を発見した当時は、それがどんな価値があるか分からなかった」
「しかし、現在は電子の存在なくして世界は成り立たない」
「無価値であるがゆえに、価値ある発見の道しるべとして、新たな創造のみちしるべとなるかもしれない」
「それは分からない」
「私は価値が有るか無いかでなく、純粋に研究したいだけだ」
こんなようなやりとりだったと思う。
このごろ落ち込んでいただけに、このシーンは、私に活力を与えた。
そして、言葉が溢れてきた。
無価値の価値の道しるべのために
発見と創造の道を歩く
過去にこだわるな
現在は過去の産物
過去に学び新たな道を歩け
未来は発見と創造の先にある
未来とは、今、その時、その一瞬にある
価値を求めるな
純粋に思考せよ
価値の有る無しによる思考に価値は無い
純粋な思考にこそ確かな価値がある
発見と創造の新たな道がある
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
弱さは詩人を作る
強さは哲学を作る
哲学を持て
信念を持て
嘆くな
恐れるな
強き哲学者となれ
信念の人となれ
絶望は悪魔のささやきとなる
希望は神の調べとなる
真実の声に傾けよ
奏でる詩を希望とせよ
強き信念を持ち希望のしらべとせよ
弱き詩人は悪魔のささやき
強き詩人となれ
先ほど出てきた言葉である。
タイトルはどうしよう・・・。
12/5/2008 トワイライトゾーン
愛するって何?
愛されることさ
愛されるって何?
愛することさ
・・・・・?
この写真を見てごらん
愛するって母親のこと? 愛されるって この子のこと?
この写真はどう?
・・・・・?
この写真は?
・・・・わからない
愛するって大切にすること 愛されるって大切にされることだよ もう一度 見てごらん
うん この子達は愛されている この子達は大切にされている
そうだよ
わかった! 愛するって大切にすること 愛されるって大切にされることだね
そうだよ 君は愛されている 君は大切にされている だから 安心して
忘れられた記憶が遠くの世界に存在していた 私たちから見れば不毛の大地と思える世界で 真実の愛があった
夕暮れのトワイライトゾーン 公園の片すみで佇み 子ども達を見ながら 絵空事を見ていた 二人の私
風が吹いている 冷たい風が吹いているのは分かる しかし 感じない 通り過ぎてゆくだけ
私は透明な板に囲まれていた 目の前に見えるのは絵空事 真実は記憶の中
トワイライトゾーン 私の世界は夕暮れの中 真実の愛は遠くの世界
11/25/2008 モハンダイハウスでの事(苦言・諫言) 昨夜の事である。
日本のカメラマンが子供に写真を撮らせてくれと頼み「写真を撮ったのにアメ玉1個しか与えなかった、10ルピーでも与えたらよかったじゃないか」とモハンダイが話したので、「仕事で写真を撮ったならお金を払うべきだが、乞食のように『パイサー、ミタイ』とすがってくる子供たちは、ただお金をくれと言っているので良くない」と話した。
じつは、心の中でたかが写真一枚で『パイサー、ミタイ』というのは乞食みたいな真似ではないかと思っていた。そう言うと角が立つので、単にお金だけをくれというのは良くないと話を替えて話した。
すると、モハンダイは「私もそう思う。ただでお金をもらうことは良くない。そんなことを覚えると仕事をしなくなる。ただでお金をもらい遊んでいるのは、浅ましい」と言った。
その時である。突然のように、その『浅ましい』という言葉が私に返ってきた。
自分はどうなんだ。年の半分も仕事をしないで会社の世話になり、しかも、ヒマラヤに行くたびに沢山の人達から餞別を頂いてここに来ているのではないか。私とその子供と、どこが違う。同じではないか。まさに、浅ましい姿ではないかと。
私は常々、自分の生き方を通して子供たちに多くのことを伝えたいと言ってきた。社会の枠の中に納まることなく世界中を見よと言ってきた。しかしそのとき、理想は立派でも現実の姿はどうだろうと思ったのである。
私は、昨年から会社での待遇が良くなり、半年も仕事をしないで山に行って良い状況になった。そのことをある人に話したら『売名行為』またある人は『そのお金の半分は俺たちに』と言われてしまった。冗談なのだろうが、ショックだった。
何でそんな言い方をするのだろう。私はヒマラヤに『登りたい』という単純な気持ちである。それに山での時間を優先するために、最小限の時間を働き、生活を切り詰めながら貯えてヒマラヤに来ている。それなのに、何でそんな言い方をするのだろうと考え込んでしまい、自分の生き方に迷っていた。
それが、昨日の『浅ましい』という言葉でその謎が解けたのである。そうなのだ、みんなの世話になりながら今こうして登山を続けられるのに、自分に都合よく考えていたのだ。それはまさに『浅ましい』ことなのだ。自分を納得させる答えを見つけようとするから迷うのである。無理に理屈をつけようとするからおかしいのだと思った。
写真を撮られた子供が『パイサー』と言ってきたことに対し、写真を撮る側のモラルが貧弱であったため、ただ単に『パイサー』と乞食のようにねだる子供を『浅ましい』と決めつけていたのは私自身であった。
私は、モハンダイが話してくれた人の道の本質をわかっていなかったのである。モハンダイのおかげで、見かけだけの姿を気にして、見かけだけの理屈を考えていた自分に気がついた。昨夜の出来事は、私を諌めて諭してくれた出来事であった。 1997年3月記 |
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